御祭神

Enshrined deity

玄武神社の御祭神は、第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王です。ご生母は更衣で、第八代孝元天皇の曽孫、竹内宿禰(たけうちのすくね)の末裔である正四位下、刑部卿紀朝臣名虎の娘、従四位上、紀静子です。
 
親王は第一皇子であり、聡明な方で、父の文徳天皇の愛情もことの他深く、皇太子になることが予想されていたが、嘉祥三年三月(八五〇)当時に最も権威を誇っていた藤原良房の娘で、女御である藤原明子が第四皇子の惟仁(これひと)親王を誕生するに及び、天皇は良房をはばかられて同年十一月に生後僅か九ヶ月の同親王を皇太子とされた。
 
惟喬親王は第一皇子として生まれながらも、その生涯、国の中央の政治の圏外を歩まれることとなったが、早くから時勢を観察せされ、山崎水無瀬に閑居して詩歌吟詠などを以て過ごされた。また、現在でも轆轤の始祖としても崇拝されている。
 

やすらい祭りの玄武神社の御鏡

創祀

First enshrinement

第五十七代陽成天皇の元慶年間(八七七~八八四)に、親王の母方の末裔、雲林院村に居住していた星野市正紀茂光が、悲運な生涯であった親王の御霊をおなぐさめし、また王城北面の鎮護とこの地守護神として、紀名虎の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので、之を御霊代として奉祀したと伝えられており、その子孫が代々この地の郷士であり且つ神職として明治中期まで奉仕されたとされております。
 
社号「玄武」とは王城の守護四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の一つで、北面の鎮護神を意味しています。その図柄は亀に蛇が絡むもので、配色は黒。(玄=艶のない黒い色。天の色とも。)
 
その昔、玄武の亀との関係から境内の小池に亀が多く放育されていたので、「亀宮」、あるいは御祭神の御名から「惟喬社」とも別称されました。
 
氏子区域は、紫野学区と柏野学区の全域、鳳徳学区三十一町内で、計百四町内会になっています。

やすらい祭りの玄武神社の御神体|玄武の石像